祈り

本記事では、以下の解説をしています。

  • アシュタンガ・ヨガの第一部門【ヤマ】について
  • ヤマの実践がヨーガの究極目標【解脱】に近づく理由
  • 対社会的次元の自己制御=ヤマについて

禁止事項

他人や物に対して守るべき行動として、「〜してはいけませんよ」という【禁止事項】にあたるのが、アシュタンガ・ヨガ/八支則の【ヤマ】です。人間は社会の中で様々なルールの中で生活しています。それぞれの集団で独自のルールがありますが、その前段階で人として他者と共存する為に守るべき道徳的な心得の5つが収録されています。

  • アヒンサー/非暴力
  • サティヤ/正直
  • アステーヤ/不盗
  • ブラフマチャリヤ/禁欲
  • アパリグラハ/不貪

(※【アシュタンガ・ヨガ/八支則】の概要については、以下をご参照下さい)

【ヤマ】は、古くから伝承されているとても大切な格言なのですが、時代とともにその解釈を改めていく必要があります。しかし、自分勝手な理解ではいけません。日常生活でつまづいた時、対人関係で悩んだ時に自己点検をする時にも使用できますのでよければお付き合い下さい。

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アヒンサー/非暴力

この非暴力は、肉体に限定したものではなく人のに対しても暴力をふるってはいけないことを伝えています。その方法は、殺生や殴るとかの物質的なものに限定されず、目に見えない心に向けて、「言葉」「思考」「行動」において、「苦痛を与えてはいけない」とされています。【アヒンサー】の効果については、聖典においても以下のようにまとめられています。

ヨーガ・スートラ(以下YS)Ⅱ−35

「非暴力に徹していると、全ての生き物が敵意を捨てる」

YSⅡ−35

非暴力に徹することは、相手へ調和的なメッセージを送ることになります。私はあなたの「敵/危険を与える存在ではありません」と表明するのと同様な意味をもちます。「温和な」「優しい」雰囲気のある人には同じような心根をもった人が集まるものです。逆に自ら敵意を示せば、相手も警戒し、緊張感のある関係性ができあがります。物事の伝え方はたくさんあると思いますが、言葉にせずとも表情であったり、ちょっとした仕草や行動がわかりやすいと思います。

(※相手へ印象を与えるのは言葉だけではない理由については、以下をご参照下さい)

「頭の中で考えていること/思考」がそのまま伝わることはありません。言葉や表情であったり、仕草や行動を人は感じとります。言葉と表情の不一致は相手に不協和を与え、違和感や疑問を抱かせ、その種は何かキッカケがあれば突然種が芽生えることもあるでしょう。「思考−言語−行動」の一貫性を日頃からメンテナンスしていれば、相手は気を許しやすくなります。よって、頭の中の感情や思考においても、暴力的な因子を滅することによって、非言語メッセージでも伝えることができるということになります。

(※基本的なコミュニケーション方法については、以下をご参照下さい)

【アヒンサー/非暴力】の実践により、対人関係をも円滑をすすめることができるということになります。

サティヤ/正直

嘘をつかないこと=真実に忠実であること」です。たとえ事実であっても他者に苦痛を与えてしまう場合は、口にしないことも必要です。黙っていることはいけませんが、「言いたくありません」と伝えたり、相手が受容しやすい方法で伝えることはできます。また思いやりをもって代替手段で伝える工夫も必要になります。「思考−感情−行動」の一貫できるように、日頃から自己理解を深め、自身も健やかな生活を送ることが必要です。

「正直さに徹していると、行為の結果はその行者の行為にのみ基づくようになる」

YSⅡ−36

もし、人が常に正直であるとすれば、その人が行う「行為の結果=現実」のものとなります。【正直さ】に徹することにより、その人は純粋で非常に強い力をもつことになるとされています。まるでやる前から結果や成果が「みえる」ような状態に至るということです。

「非常に強い力」とは、個人的に「周囲の協力」や「仲間」だと考えています。常に正直であり、人のことを考えている姿をみていると非常に心強く、「ともに歩きたい」「少しでも力になりたい」と人は感じます。純粋であるが故に様々な方面からの協力が得られ、物事が進むべき方向へ進んだ結果になります。

アステーヤ/不盗

他人のものなどを盗まないこと、また「うらやむ心」を持たないことです。ここで【もの】とは、以下を指します。

  • 物質的な物
  • 時間
  • 信頼
  • 権利
  • 利益

待ち合わせに遅刻することは、相手の「時間」を奪うことになります。そして同時に自分の信頼をも失うことになります。会話を遮って自分の関心事ばかり話すことも他人の「時間」や発言する「権利」を奪うことになります。極端なことを言えば、私たちは常に自然からたくさんのものを奪っています。

では、「呼吸することもやめないといけないのか?」と言われると、決してそうではありません。その代わりに呼吸ごとに感謝し、しっかりと返していくように心がけることが大切なのです。(しかし、「何か与えてもらっているから、人に与える」ということでもありませんのでご注意下さい。)与えることは、幸福への方法なのです。

「貰ったからするのではなく、貰っていなくても与える」という姿勢をヨーガは伝えています。Give and Take」という2者間のやりとりや、「Pay it Foward」という循環構造になっていますが、どちらも最初に与える人が存在し、損得勘定が存在します。「少ないものを与えて、大きなものを手に入れよう」とする卑しい心はもってのほかです。「来るもの拒まず、去るもの追わず」のように、お金を追いかけるほど、その人は貧相になっていきます。落ち着いた心の持ち主には、様々なものが集まってくるものです。

心の静けさは【感染】します。こちらが笑いかければ、自然と相手も笑顔で返してくれます。子どものような無垢な存在に笑顔で接すれば、笑ってくれます。その笑顔をみるとこちらも嬉しくなります。

子どもの笑顔

そんな素敵な関係を日常生活でも感じていきたいものです。しかし時に、「怪訝な顔」をしている人が前にいるとこちらも窮屈な緊張した心となってしまいかねません。しかし、それも自分が勝手に相手を判断しているだけであって、相手は、疑問や不満で納得のいっていないことを抱えているかもしれません。なので自分ばかりではなく、相手を思いやる心をもって周囲を観察するクセが必要だということです。

ブラフマチャリヤ/禁欲

5感(視・聴・臭・味・触覚)の赴くままに無駄なエネルギーを使用せず、情欲を満たそうとする心の自己制御をすることです。

「禁欲に徹していると、強健力が得られる」

YSⅡ−38

現代は【エネルギー】に関して無知です。であるが故に無駄にエネルギーを使用し、快楽に溺れいます。現代社会には、誘惑はたくさんありますが、その誘惑に負け、自分の心のハンドルを渡してしまっては、情欲に飲まれた低次な人間となってしまいます。特に精液は【生命のエネルギー】の源とされ、【プラーナ】となるとされています。この考え方は現代医学も同様であり、精液やホルモンは肉体や精神を強靭に保つ上でも非常に重要な要素に変わりはありません。

(※プラーナについての具体的な説明については、以下をご参照下さい)

エネルギーをバッテリーという肉体の中に蓄え、必要なときにバッテリーから必要なだけエネルギーを使用する必要性があります。「エネルギーは使わずに常に溜めておかないといけない」という意味ではなく、節度をもち、必要に応じて使用すること、自分でコントロールをして使用していくという自己制御が求められているということです。

アパリグラハ/不貪

次から次へと湧き起こる欲望に身を任せない、何かを過剰に所有しない。独占欲を抑えることとも言えます。人は得ることに慣れると手放すことが難しくなります。新たなものを手に入れるには、手放す必要があるのですが、「もっと欲しい、もっと欲しい」と欲にまかせて、手に余るほども所有した結果、自らを苦しめてしまうことに気付いていません。手放すことに【幸福】があるのですが、実際に行うのは難しいものなのです。

欲望

しかし、これでは「欲望の奴隷」となってしまいます。その為に、身の丈にあったものであるかどうかをよく判断し、「何を持っている」のではなく「何に使う」という思考の変換が必要になります。そうすると用途がわからないものがたくさん出てくるかもしれません。しかし、身の丈にあっているかどうかの自己理解があることが前提となるので、その洞察をヨーガを実践することが必要です。

「不貪の想いが不動になると、自らの生の原因と様態を理解するようになる」

YSⅡ−39

欲望に執着していると、「欲」が欲している理由を理解することは困難です。心を欲望から完全に離脱することによって、心は明瞭となります。そこで初めて欲望が引き起こした「原因と結果」の因果関係を理解することができるのです。

身動きが取れない時、人は普通「何で」「どのように」「何故」と現状理解しようとします。そして客観的にみることによって、縛られて自由ではないということに気づくことができます。それと同様に何かに執着をしてしまっている時、「何に」「どういう目的」「どんな場面」と執着している正体を探り、放棄してはじめて、執着していたと理解するものです。

感覚器官を制御することが卑しい心の制御につながりますので、常に【自己理解】を深めながら、他者が存在しているということを理解することが大切であるということを教えています。

まとめ

全てを一気に日常で実践することは困難です。1つずつできる範囲からはじめることが、無理をしない、自らを苦痛にさらすことも【禁戒】のルールを守るコツです。「無理せずに、少し頑張ってみよう」と一歩踏み出すところからはじめてみませんか?そして時折、自分の周囲を客観的に観察してみて下さい。何か違いを感じることができるかもしれません。