誰からも嫌われずに生きることは不可能である理由

人間

近頃はチームで協働して作業することが強く言われるようになってきました。

協力することは昔からの極自然なことで、「連携」が度々言われるのは、組織離れや個人プレーが目立つようになってきた裏返しだと思います。私自身人と協力することは苦手です。しかし、これは人に合わすことが嫌いというよりは、協力することが優先されて、ただの仲良し集団になっているからです。

自分を他者に正しく伝える能力のひとつにいわゆる「社会人力」というものがあります。

会社で働くのみに限定された能力ではなく、社会や地域で協働して生きていくために重要な要素と言えます。

残念ながら人は1人では、生きていくことはできません。しかし、人には相性もありますし、できる限り皆と協力して、良好な関係を築いて進んでいきたいものですが、どうしても「合わない人とは合わない」ことは誰もが体験したことがあると思います。

また、誰とでもうまくやろうと思うから人間関係がしんどくなってしまうし、自我意識が先行し過ぎて周りから人が離れ、孤立したように感じることもあると思います。

そこで参考になる考え方を紹介していきます。


2:7:1の法則

他者との関係において、「2:7:1の法則」というのがあります。

例えば、10人の人があなたの周りにいます。

そのうち2人の人とは何をしてもフィーリングが合う

7人の人とは、その時の条件や状況次第で合ったり、合わなかったりする関係性

残りの1人はどうしても苦手だったり、合わなかったりする人がいる

という法則です。

しかし、日々私たちは何故か1/10との関係性を重要視してしまいます。たった1人だけの意見に自分の心を乱されてしまうことが多々あります。

これは一体、何故でしょうか?

誰からも嫌われたくない?

人から敵意を向けられたり、嫌われたり、悪口を言われたりして良い気分はしませんよね・・・

誰でもそうだと思います。誰からも嫌われたくないとついつい思ってしまいますが、2:7:1の法則が正しいと仮定すれば、「誰からも嫌われないこと」は不可能であるということになります。

「嫌われたくない=不可能」かもしれませんが、少し捉え方を変えて「誰からも好かれたい」というのはどうでしょうか?

好かれたい」という考え方は、「嫌われたくない」よりはまだ建設的な感じですが、不可能な課題です。

Q:それはなぜか?答えは簡単です。

A:相手次第だから

ゲッティング思考からギブ思考への転換

「好かれたい!」「嫌われたくない!」という欲求は、人から何かを求めるゲッティング思考です。

それよりも自ら何かを無条件に与える側の「貢献」といわれるギブ思考が健康的(幸福)な思考パターンと言われています。しかし、注意が必要なのが「自らが与えることで、何かを受けようとする」する「支配下構造」になっている場合です。

相手次第のことに関与し過ぎるのは健全ではありません。最終的には、争いになり、お互いが傷つくことになる可能性が高いからです。なぜなら、「嫌う人は何をしても嫌う」のだから、1の人に固執するよりも、7の人との関係性を考えたほうがよっぽど健康的な考え方ではないでしょうか?

ただ自分は、相手を無理に「嫌う」必要も無理に好かれようと主張を抑えて「同調」する必要はありません。そこでオススメの態度があります。

顔見知りのご近所さん

嫌う人はどこにでもいます。その土俵に引きずりこまれずに、無理に好かれようともせず、嫌われようともせず、会った時に軽く挨拶や会釈をする程度の関係でいいんじゃないかと個人的に思っています。

誤解を招きたくはないのですが、「自分は自分だから好き勝手をやったらいい」という自己中心的な意味ではないということはお断りしておきます。

まとめ

  • 何をしても嫌う人はいるから、適度な距離感を保っておいたほうがよい
  • 自己中心的な行動は、健全ではない
  • 1人⇨7人に目を向ける
  • 必要なことは、自らを客観視をし、自己理解に努めること
  • 無自覚的に相手を刺激しているコミュニケーション方法のクセに気をつける