今はどこにいても様々な情報を得られる。情報が溢れ過ぎて、どれが大切なのか、正解なのか、間違っているのか、ってことばかりを見分けることに必死になっている感じもします。まだそれを精査している場合は良い方かもしれない。全てを鵜呑にしてしまってはいけない。昔からですが、特定の人に向けて書いている様で、結局万人受けする内容なサイトや情報っていっぱいあるなって思うんです。
ただ巧妙な書き方になっていたり、個人のブログでも集客を集めるために”明確な数字”を使って、
◯◯な人の10の特徴!とか、よくあります。
まぁ、答えを求めている人はついつい食いついてしまうと思います。
何か問題があっても、ググってしまえば何らかの答えは見つかるし、それを盲信したように実践してみる。
行動が先行する自体は私も悪くないと思うのですが、大事なことが抜けてると思うんです。
自分で考える事
困ったらまずネットで調べたり、人に聞いたりすることってよくあると思います。
1つの答えがあって、”知っているか/知らないか”の知識の問題であれば、調べるのがいいと思います。その系統の課題は、覚えることや速く目標に到達したほうがどんどん先に進めます。しかし、答えのない問いに対しても同様な方法をとるとどうでしょうか?
「なんか間違っていないけどな〜」って、印象になり、薄っぺらいな、どっかからのコピペと簡単に見分けられますし、結局自分が本当に伝えたいことがうまく伝わらないってことになってしまいます。
ググる力
今後、「検索するのが上手い」は十分なスキルとして成立すると思います。
表面的な記憶としての知識を求められる課題に対して、PCに人間はまず勝つことはできません。
円周率は良い例です。
でも、「思考の柔軟性」という点ではまだ勝ち目があります。
今後はこれで勝負するしかありません。
記憶は機械にまかせ、”柔軟に物事を考える力”が大切になります。(合理的に考えること、考慮し、計画し、行動することは機械もできること) 一見無駄にみえることにも意味を持たせることもそうです。
ググるのにも、ある程度の広い知識を求められます。現代においても、特定のジャンル深い知識(専門性)とともに横に広い知識が必要とされています。
I型⇨T型の人間が求められる
過去の日本では、1ジャンルに卓越した知識、専門をもった人間が有能とされてきましたが、これからは特定の深い専門性ももちながらも幅広いジャンルに見識をもっている人間が重宝されます。なぜなら、
①複雑な社会問題を特定の学問や専門性からでは解決ができないということ
②さまざまな見地、立場から状況を観察することで新たな課題が早期に発見される
頭の中の記憶は、断片的な物事の概念でしかなく、それぞれの結合が人に閃きや固定化した知識として蓄えられていきます。よって、幅広い見地をもつことで、特定の専門性をより深く、また立場を変えることで、情報(専門にしている分野の課題の問題点)の見え方やもっている意味の違いを見ることができます。
リーダーやマネージャーには必須
特にマネージメントする側にある人には必須になります。様々な視点からものごとをみることができるので、気づきが早くなります。サービスの品質を保持したり、リスク管理をしたり、人事・労務に関しても、相手の立場にたっても話をすることもできるので信頼関係を築くのが上手く・早くなってきます。関係性を早期に構築することができれば、好意的また主体的に人はに動いてくれます。マネージャー、リーダーの仕事は、これに尽きると考えています。
How toの教育では役にたたない?
技術者向けの研修会の多くは、この”How to”系の手技の研修会が多いですし、ビジネス書でも”How to本”は書店には山ほど陳列されています。
こんなにたくさんの研修会や本があるのに、課題は一向に解決されないのは、”本質”をついていないからです。
あくまで入門的なところで用いられるのは、価値はあるかもしれません。
理学療法士の場面としては、課題、困ったときの対象となるのは患者さんですが、その研修などが対象者を抜きに行われているのに、私は不思議だと感じます。
教えてもらうの姿勢では、身につかない
私はセラピスト職は、職人だと考えています。
職人が技術を学ぶときは、昔からどうしていたでしょうか?
師弟関係を結び、弟子入りする。そして師から直接手ほどきを受けるのではなく、物事に対する姿勢、所作などを含めて、ともに生活をした中から”自ら学ぶ”のです。
初めは見よう見真似かもしれませんが、師のようにうまくいかずに何度も失敗しては、また挑戦することになります。機械のように視覚的に見えた動きを自らの身体が機械のように真似るのではなく、意図を理解する為に”自ら考える”プロセスに意味があるのだと思います。
師への恩返し
師への感謝の礼を返すことができる唯一の方法は、師を超えることでしかないと私は考えています。
真似をしているうちは越えることはまずできません。意図を理解し、伝統も守り、自身のエッセンスや現代の進歩した道具をも取り入れ、自らのものを作り上げていくことしかないのではないかと考えます。
特定のジャンルだけではなく、横の知識にも興味を示すことの重要性がここにあります。
そして、同様な考え方をもつ専門家達とディスカッションすることで、さらに素晴らしいものへと進化させていくことが重要だと考えます。
居心地の良いところから出る勇気
みな変化することを恐れます。今現在の場所が安全で居心地がいいからかもしれませんが、それでは上達することもできません。変化を恐れますが、進化していく、自ら向上させて環境に対応していく能力があると思います。しかし、踏み出せない。
居心地がよいところから出るために必要なのは少しの勇気⇒自信です。
自信をもつ方法 を参考下さい。
そんなに大きな自信じゃなくても、「やってみたら意外と簡単に自分でもできた」と思うことがあります。それの繰り返しで少しずつで良いと思います。
1人ひとりがその体験をすることで周囲にも影響がでます。その体験を同じような悩みを抱えている方に話をしてみる。それだけでやってみようと思う人が一人でもいたら良いんじゃないかなって思います。一人の力は些細でも集団となれば、物凄い力となり、1つや2つの社会問題も解決できるかもしれません。
そんな大きな目標も結果ですぎないですので、皆がまず一歩、周囲への興味をもち進むことが、考える事が大切なのだと思います。
まとめ
・物事の本質を見極める為
・物事の捉え方は柔軟に
・「教えてもらう」じゃ学べない
・自ら学ぶことをやめない
・自分勝手に決めつけない
ぜひこちらもご覧ください
‐常に創造的な自己否定を繰り返していく
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