身体の不調で病院に行くと訴えを聴き取り、検査をされます。ヨーガセラピーも同様に検査がされます。これには西洋医学的な検査とともにYOGA独自の基準から評価されます。YOGAには人間の捉え方があります。
現代医学において病気・疾患の診断をする為に、正常な人間の【身体構造】や【機能】の知識である、解剖学や生理学の知識を用います。診察や検査を元に医師は診断を行い、治療方針を決定します。診察や診断は医療行為ですが、【YOGA】においても基本的な人間の捉え方である【構造論】【機能論】によって評価をし、ヨーガ的な処方を行っていきます。ヨーガを教えている人であれば、知らない人はいない人間の捉え方に以下の2つがあります。
- 人間五蔵説
- 人間馬車説
これらの2つの考え方をもとに現代医学と同様に【ヨーガ療法】では、アセスメントし、ヨーガ指導を実施します。セラピーとしている以上は、アセスメントなしに指導することはありえません。医師が患者の訴えや検査もせずに、手術や薬を処方しないのと同じことです。アセスメントなしの指導がいかに危険な行為かは想像するこができますが、一般ヨガ教室では平然と行われています。
そこで、ヨーガにおいて基本的な人の捉え方と医療者の捉え方を比較して解説していきます。
一般的な医療面接
一般的に医師はまず患者の訴えを聴き、必要な情報を得るために質問をしていきます。これが問診です。問診により詳細に病歴を聴取し、それに基づいて適切な身体診察を行い異常の有無を調べます。必要に応じて画像検査などの各種検査を行い、総合的に判断、治療開始となります。
しかし、検査だけでは診断がはっきりしない場合、検査自体が体力的な負担が大きい場合や救急などの厳密な診断をしている時間がない場合には、特定の疾患を想定して治療の効果をみながら診断をする方法、いわゆる治療的診断がとられる場合もあります。(この方法がとられるのは、限られた特定の状況のみです。)そして、「検査値に異常がなければ、病気ではない」と判断されます。
これが西洋医学的な健康観に基づく診察です。
(※健康についての基本的な考え方については、以下をご参照下さい)
理学療法士の評価
- 患者プロフィール(基本情報、医学的情報、社会的情報など)の情報
- 理学療法的評価(関節可動域測定、高次脳機能検査、脳神経検査など)
- 動作観察
- 日常生活動作検査
上記をもとに下記のように分けて考えていきます。
- 生物・生命レベルの心身機能・身体構造
- 個人・生活レベルの活動
- 社会・人生レベルの参加
また背景因子となるを考慮した上で健康状態を把握します。
- 個人因子
- 環境因子
言葉だけではわかりにくいので、図式してみました。
その人の生きることの全体像を捉える国際生活機能分類(ICF)が理学療法士が捉える健康観です。
対象者の目標や目的に沿って、優先順位をつけ、治療プログラムを設定し、リハビリテーション開始となります。その後、評価・観察を繰り返し、設定したゴールに対して、科学的に効果的なプログラムとなるように修正し、提供していきます。
ICFによる障がいの捉え方の特徴は、対象者の障がいを主観的なものとして捉えた点とマイナスではなく、プラスの側面に着目した点です。
基本的に理学療法士によるリハビリテーションはあくまで医師の指示の元に実施されます。
(※理学療法士に関する「開業権はあるのか?」などの法律関係については、以下で簡単に説明しています)
各項目をもう少し詳しく説明すると以下のようになります。
心身機能・身体構造
心身機能とは、身体系の生理的機能(心理的機能を含む)のことを指し、身体構造とは、器官、肢体とその機能成分などの身体の解剖学的部分を意味します。この部分の障がいを機能障害(構造障害/impairmentを含む)といい、著しい変異や喪失などといった、心身機能又は身体構造上の問題のことを指します。
例は、
- 運動機能障害
- 感覚機能障害
- 高次脳機能障害
- 嚥下機能障害
- その他
活動
活動とは、課題や行為の個人による遂行のことを指します。
活動レベルの障害を活動制限と呼び、個人が活動を行う時に生じる難しさを意味します。
例は、
- セルフケア
- 移動能力
- 社会活動性
- コミュニケーション能力
- その他
参加
参加とは、生活・人生場面への関わりのことを意味します。
参加レベルの問題は参加制約と言われ、個人が何らかの生活・人生場面に関わる時に経験する難しさのことを言います。
例は、
- 趣味的活動
- 地域活動
- 仕事
- その他
環境因子
個人の健康状態に関わる環境因子とは、
- 家族状況
- 家屋状況
- 地域環境
- 福祉資源状況
- その他
個人因子
環境因子と同様に健康状態に影響する個人因子とは、
- 生活歴
- 職業歴
- 性格
- ライフスタイル
- その他
理学療法士の頭の中は以上の要素を考慮してクライエントを捉えていく健康観を持っています。また健康状態を捉えるにもICFモデルでは、障がいを主観的にまた、プラスの側面にも注目していきます。
主観的な障がい
障がいのある人の心の中に存在する悩み・苦しみ・絶望感(また補償しようとするプラスの心の働き)を付け加えること。
プラスの側面
障がい者をマイナスしかもたない存在ではなく、健常な機能・能力というプラスをもち, 社会的不利だけでなく社会的な有利さをも備えている存在と捉えます。
(※リハビリテーションは、マイナスを減らすだけでなく、プラスを増やす手段として、潜在的な能力を開発・発展させ大きな成果を得ることを重要視する必要性が主張された事を踏まえ、WHOは2001年に,「生活機能・障がい・健康の国際分類」(International Classification of Functioning, Disability and Health:ICF)を発表しました。)
YOGA|人間五蔵説/パンチャ・コーシャ
古ウパニシャド聖典(特にタイッティリーヤ・ウパニシャド聖典)に記載された人間の構造論が【人間五蔵説/パンチャ・コーシャ】です。
人間の身体は、5つ(パンチャ/panca)の鞘(コーシャ/kosa)から成り立っているという考え方があります。下図のように人は、内側にいくほど微妙な霊妙な働きをする鞘が存在しているとされています。
具体的には、以下の5つの鞘の構造となっています。
- 食物鞘
- 生気鞘
- 意思鞘
- 理智鞘
- 歓喜鞘
その最深部には五蔵の動力源である真我/アートマンが鎮座されていると奥義書に記載されています。
食物鞘/アンナマヤ・コーシャ
主に筋骨格系のことを指し、大脳生理や血流も含まれます。
- 食べもの(アンナ/anna)
- 〜から成る(マヤ/maya)
食物から成る鞘の意味で、身体の一番外側の鞘を指します。
肉体は、3種のドーシャ・バランスによって維持されています。アーユルヴェーダでは、ドーシャ・バランスの乱れにより病気が発現すると考えられています。
一般的には自己存在=肉体/食物鞘であると我々は誤認知している為、種々の病で苦しむのであると、人間五蔵説で表現しています。
生気鞘/プラーナマヤ・コーシャ
- 生体のエネルギー次元の鞘
- 生気(プラーナ/prana)から成る鞘という意味
生気/プラーナを呼吸を通して粗雑体である肉体と微細体である心の架け橋となる鞘です。心の働きによって、エネルギーの流れに変化が生じます。
プラーナは、私たちの身体内に張り巡らされている目に見えないナーディと呼ばれる導管の中を流れているとインドでは考えられています。
またプラーナには、「パンチャ・プラーナ=5大生気」があるとされています。
意思鞘/マノーマヤ・コーシャ
- 知覚作用と感情・感覚の伝達作用が行われる意識や心からなる鞘
- 感覚次元の鞘
- マナス(意/manas)から成る鞘という意味
- 刺激に反応するサーチライトの役割
五感や運動器官の情報伝達、感情にも関わり、種々の感覚や想念に関係する鞘とされています。
人間は五感を通じて外界の意味付けを行っています。心のエネルギーを司り、外界からの刺激や出来事に反応して表出する感情をコントロールできなければ、私たちの心は乱れてしまいます。
意思鞘は、サーチライトの様な役割をし、「マインドワンダリング/意識の暴走」は、この鞘の機能不全が原因であると考えられています。
現代は様々な欲が存在し、多くは感覚器官を満たすことで自身の身体を崩しています。「感覚器官の欲を満たすこと=幸福」という誤認知をしているのです。
理智鞘/ヴィジナーナマヤ・コーシャ
- 認知や知的判断を司る最も重要な心的活動を行う鞘
- 智慧や理性が働く
- 「識(ヴィジナーナ/vijñāna)」から成る鞘
「識」とは、物事の道理を以下のように処理するという意味があります。
- 判断
- 見分ける
- 悟る
判断には、基準となる「ものさし/智慧」が必要になります。
ここで用いられるヴィジナーナとは、相対的な智慧であり、二極の対立感情である「高低」「貧富」「得失」等々の選択の上に人生は成り立っています。二者択一を常に人生では行っているのですが、これを判断しているのが理智です。
理智鞘の機能不全または認知間違いが病気の根源であると考えられています。病気には無知さによる病と無智さに関係のない病の2種類が存在します。
人間馬車説において御者として運転席に座っているのが、「理智/ブッディ」であり、「手綱/マナス」を介して外界からの刺激を「諸感覚器官/10頭の馬」が受けとり、情報を「認知−判断−決定」しています。よって、知性・感性であるとも捉えることができます。
この理智こそ古来インドより向上させる目標の対象です。理智鞘は、心の鞘と歓喜鞘(記憶)の架け橋となる鞘です。断片的な記憶であるチッタを判断し、心の作用として感覚やエネルギー、肉体次元に表現します。
ヨーガ療法のターゲットになるのがこの鞘です。この鞘の機能がこの次の歓喜鞘が扱う記憶を自らの都合の良いように利用し、迷妄/マーヤーの世界へと向けてしまいます。この為、客観的な記憶に対してではなく、あくまで主観的な記憶への意味付けに対してアプローチしていく必要があります。
歓喜鞘/アーナンダマヤ・コーシャ
- 広くは記憶、経験、データの貯蔵庫の鞘
- 歓喜=心からの喜びの鞘
- 忘却記憶も含む全ての記憶の貯蔵庫「心素 /CITTA」を含む
- 純粋意識/プルシャと真我につながっている鞘
この鞘の喜びとは、感覚器官を通して得られるような外面的なものを対象としたものではなく、内面的な心の底から湧いてくる様な内面的な喜悦感のことです。ただし、喜悦感も心の作用であり、滅していく対象とされています。
さらに歓喜鞘の内部には、各鞘を生みだす動力源である真我/アートマンが鎮座しています。記憶の貯蔵庫/チッタとされているという記述は、ヨーガの根本経典である「ヨーガ・スートラの第1章11節」に記されています。
「記憶とは、かつて経験した対象を心素(チッタ)の内に留めることである」
(ヨーガ・スートラ 第1章11節)
忘却記憶もこの心素の中におさめられていると考えられています。この記憶と自己存在を重ね合わせる誤認知もトラウマ/PTSDを含めた、多くの苦悩を生じると考えられています。歓喜鞘からの脱却が真我/アートマンという存在に行き着くヨーガの究極目標となっています。
ヨーガ療法において
ヨーガ療法は、人間を5層の多重構造の統一体として捉えています。
伝統的ヨーガは、各鞘での「自己制御/self control」を行い、人格の成長を促し、最終的には完全なる統一体を目指し、解脱に導いていくことが目的だと言われています。これは現代的には、「理想的な健康像」に達することと捉えると理解がしやすいです。
(※ヨーガ療法と伝統的ヨーガの目標については、以下をご参照ください)
人間馬車説
人間五蔵説と同様に、古ウパニシャッド聖典のカタ・ウパニシャッド聖典中に人間構造論として記述される考え方が人間馬車説です。
この考え方の背景には、常に動き回っている人間たちに対して、「自己制御をする為には、一体どうしたらよいのか?」という疑問があったことが察せられます。
例えば私たちが普段、車を運転する時を考えてみて下さい。
- アクセルやブレーキの場所と機能
- 進む方向を決めるハンドルの関係性
これらを知っていなければ、安全に運転することはできません。
自己存在に対しても同様で、的確に人間構造を表している図と捉えることができます。
10頭の馬
図では見えにくいですが、上図には10頭の馬に引かれている馬車が描かれています。10頭の馬は、10感覚器官の例えとして描かれています。
- 5知覚器官(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)
- 5運動器官(手/拝受器官・足/移動器官・生殖器官・排泄器官・発語器官)
これらの10感覚器官の働きにより、人体に種々の反応を生じます。
この考え方は、現代医学的な人体の機能システムの捉え方とともに理解をしておくことが勧められます。
馬車について
「カタ・ウパニシャッド」には、以下のような記載があります。
「真我(アートマン)を車中の主人と知れ、身体(シャリーラ)は車両、理智(ブッディ)は御者、意思(マナス)は手綱と知れ。」
(カタ・ウパニシャッド第3章3節)
さらに御者の後ろには、「我執/アハンカーラ」と「心素/チッタ」という内的心理器官が存在します。
御者である理智は、物事の判断中枢として、感覚器官が外界の対象を追いかけ暴走しないように、「手綱/マナス」を通して人を制御する構造として人を捉えています。本節から人間の【構造論】と【機能論】をよく理解し、自分をうまく操縦して生きていく必要性が求められています。
まとめ
- ヨーガも現代医学と同様、人間の構造論と機能論が存在する
- 構造論と機能論があるからこそヨーガはセラピーとして成立する
- アセスメントがなければ、セラピーは成立しない
- アセスメントなき、指導は非常に危険
- 西洋医学とヨーガ療法の両者を包括的に理解していくことが理想的な健康増進につながる