本記事では、以下の解説をしています。
- アーサナへの勘違いについて
- アーサナ理論について
- 定義や本来の意味について
- 一般教室の参加で怪我をしないための注意点
- インストラクターの選び方
- インストラクターはいらない?
4大ヨーガの1つ、ラージャ・ヨーガの実践面として重視されている概念に【アシュタンガ・ヨーガ/八支則】があります。(※巷で行われているレッスンのアシュタンガ・ヨガとは異なりますのでご注意下さい)このアシュタンガ・ヨーガの第3部門に、一般的なイメージのヨーガである【アーサナ】があります。しかし、全てのヨギーの必読書であるヨーガ・スートラにおいて、パタンジャリはアーサナについて3度しか言及していません。
(※アシュタンガ・ヨガについては、以下をご参照下さい)
ヨーガ=アーサナという印象が強いですが、勘違いが多く有害事象も発生しています。
- 綺麗に型通りのポーズをとることがアーサナであるような教室
- そのように指導するインストラクターの存在
高い柔軟性を持ち合わせ、キレイなポーズや困難なポーズを保持できることがインストラクターの資質であるように、位付けされているような団体も残念ながら存在します。
またヨーガへの勘違いが原因でもあるのですが、有害事象発生の原因としては、
- 無理に型をとろうとすること(とらせようとする)
- 一般的な意味で、ポーズの”完成形”を目標としていること
- ”モディフィケーション”と称して、直接手で触れて修正するインストラクター
- 【アセスメント】の欠如
一般的なヨガ養成コースを卒業して認定資格を持っておられるのですが、身体に関しては素人です。まず人を触れる為の知識が圧倒的に不足しているという問題点があります。そして、これ以上にアセスメントを行わずに指導しているという大きな問題があります。よって、ヨーガが本来もっている聖典群が示す【理想型】としての目的とアーサナを始めとする技術体系としての手段がともに誤っているので、ヨーガの強みが失われていますので、結果ヨーガなのかどうかも怪しくなってしまいます。
柔軟性に関しては、個人的に「何の目的でそんなに柔軟性がいるのかな?」と疑問です。過度な柔軟性は、身体の弱さを示します。身体機能や身体構造の強さを得て、心の安定を求めるのであれば、高い柔軟性では目的を果たすことはできません。それでも高い柔軟性を目的とするのであれば、「別に他のエクササイズでもいいけれども・・・」と思ってしまうのが正直なとこです。本質的な部分に触れ、正確に理解できなければ、古来からの大切な智慧がただの流行りやこれまで消えていったたくさんのエクササイズと同じようになってしまいます。ヨーガ療法においては伝統的なヨーガを基としてさらに日々進化しています。
【医療従事者】として単にヨーガが良いからという理由で近くの教室にいって、怪我をするようなことは見過ごせません。今回はアーサナを取り上げます。
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【アーサナ/坐法】の目的
アーサナは瞑想に備える準備段階です。パタンジャリは、ヨーガ・スートラにおいて3度しかアーサナについて言及していません。これはアーサナを軽視しているという意味ではありません。
アーサナの目的は長時間の瞑想に備えて身体を浄化することで、八支則の最終段階/サマーディの境地に達するために欠かせません。【サマーディ】とはトランス状態に似た至高の状態のことで、心がここに至ると雑念に妨げられることなく対象に意識を集中し続けることができます。瞑想の対象と1つに結びつくことによって、行者は言葉では言い表せない喜びと平安に包まれることになります。
(※瞑想については、以下をご参照下さい)
本来の意味
アーサナ/「坐る、休息する、住まう」という動詞から派生したもので、「坐法、休み、居住」という意味をもちます。もともとは瞑想を行う時の単なる姿勢を示していましたが、【ハタ・ヨーガ】では坐法だけでなく、立位・仰臥位姿勢をも示すようになったとされています。
ヨーガ・スートラに記述されているアーサナ理論
パタンジャリはアーサナについて3節のみの記述ではあるが、これはアーサナが重要ではないということを意味しているのではありません。もし重要でないなら八支則の1支則にアーサナが入るはずがありません。同様にプラーナーヤーマに関して5つ、プラティヤーハーラに関しても2つの節でスートラ内で扱われているだけです。パタンジャリは、ヨーガスートラにおいては心の面を重要視したということです。
(※八支則については以下参照下さい)
坐法の定義
「坐法は安定して快適なものでなくてはならない」(YSⅡ−46)
下記の項目を含め2つの条件を満たせば、あらゆる姿勢もアーサナであるとも言われています。しかし、快適で安定した姿勢というものはどんな姿勢でしょうか?
デスクワークの方も多いと思いますが、仕事中や終わりには肩や腰に不快感が認められるとそれは快適とは言えません。窮屈な感じがして、モゾモゾと姿勢を頻繁に変えていてはそれも安定していないし、快適とは言えません。坐位姿勢に苦痛を感じていれば、アーサナの前段階の【非暴力/アヒンサー】に反していることになります。
痛みは非常強い刺激として入力されます。この刺激に感覚領域が占拠されていると、次段階でより微細な生気次元の意識化であるプラーナーヤーマを実践していくことは困難です。安定・快適であることは、その以降のヨーガを実践していくために不可欠な段階であるということです。
坐法の行じ方
「弛緩に努め、無辺なるものに入底することで、坐法に熟達する」(YSⅡ−47)
坐を組んで坐る目的は、【瞑想】です。瞑想は精神修行になるので、肉体への意識は必要ではなくなります。瞑想中に肉体が疲労していたり、痛みを感じる状態では心の修行に差し支えます。長時間同じ場所に動かず坐っておくということは実は非常に難しいものです。そのためアーサナによって、「しなやかで強い/強靭」な肉体を作り上げておく必要があります。時には氷河でも、険しい山々でも数十キロと歩き続けることができる屈強さをもちつつ、しなやかな柔軟性に富んでいることが必要になります。長時間にわたる坐法であっても、肉体へ向かう意識が取り除くことができる程の弛緩した心を持ち合わせる為という目的で、アーサナによって強靭な肉体づくりが必須になってくるということです。
行じた結果
「その時、二極の対象物によって害されない」(YSⅡー48)
アーサナを実習している最中は、”今ここ”で動かしている肉体の諸変化について意識化しておくことが求められます。私たちの俗世では、色々な物事に心を惑わされてしまっています。相対的な対立する感情(二極の対立感情)の中で、その無智さから心を惑わされます。損得・敵味方・快不快などからアーサナ中は意識作用を一時的に引き離すことができるようになってきます。この点がヨーガ療法が心理療法体系と呼ばれる1要因であります。
(※病の根源となる無知さについては、以下をご参照下さい)
アーサナの次が呼吸法となる理由
「坐法が熟達した後で、吸気と呼気の動きを止める調気法を行ずる」(YSⅡー49)
八支則では、アーサナの次に調気法を行じる段階に入るとされています。調気法は坐法よりも繊細な次元(肉体⇨エネルギー)を扱う行法となってきます。呼吸法は、【自律神経系】にも関わります。肉体と心の架け橋となる点でも非常に重要な行法となります。調気法は自律神経系と相関して働く内分泌系や免疫系の機能に対しても、種々に影響を与える可能性も示唆される行法となりますので、安全性に考慮した上で実践していくことが求められます。
(※呼吸法について知るために必要な知識については、以下をご参照下さい)
インストラクターを選ぶ注意点
近年ヨガクラスの参加による有害事象の発生が問題視されています。健康になるためにクラスに参加しているのに怪我をしてしまっては本末転倒です。そこでヨーガスタジオを選ぶというよりもインストラクターを選ぶ注意点があります。人から教わる時に私が考えることは、”何を”学ぶか?というよりも”誰から”学ぶか?ということに重きを置くことだと考えています。
しかし、インストラクターを選ぶ基準がなければ難しいです。最終的には、実際話をしたり、レッスンを受けてみないとわからないのですが、ある程度経歴や人となりがわかった上で参加したいものです。私がレッスンに参加する時に確認する項目を参考として、
- 保有資格(ヨガ団体、国家資格)
- ヨーガ歴(指導歴ではない)
- ヨーガ以外の経歴
- なぜヨーガを初めたか
- 宣材写真が難解なポーズをとっていない
- 聖典への知識があるかどうか
- できればヨーガ療法学会の会員である
ヨガ団体の認定資格については、団体によって大きく差があります。数時間の受講で取得できるものもあります。またたくさんの研修が書かれていると信用できそうですが、参加は誰でもできますのであまり参考にはなりません。また医療従事者であれば、ある程度は身体の理解がありそうですが、最低限の知識を持っているだけで、指導者として適任なのかどうかはわかりません。中途半端な知識をもっている指導者ほど危険なものです。
よって、直接受け、話を聞いてみるしかありません。しかし、本来のヨーガの目的に達するためには【理想型】が必要になります。この理想型をもっているセラピストはまだまだ数少ないですが、そんな指導者がいれば安心して参加できるかもしれません。
「”誰の”指導を受けるか?」に重きをおくといいかと思います。
まとめ
- アーサナの目的は、弛緩し安定した坐法を獲得すること
- 瞑想へ備える準備段階=アーサナ
- ポーズに完成形はない(追い求める対象ではない)
- 現代ヨーガの目的は、
- 心身機能の調整
- 心身のセルフコントロールの獲得
- 総合的な健康の創造