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本記事では、以下について解説しています。

  • ヨーガのグル/導師について
  • グル/導師に学ぶ、指導者としてのあるべき姿について

yoga

ヨーガは、人生の見方であり生き方です。この哲学と実践の目的には様々な側面における人格、心、肉体、魂を調和によって統合し、人生における究極の目的である、悟りの境地や理想的な自己実現に達することを目的とする自己制御法です。また、実習により得られる直接的体験と内省及び探求によるヨーガは、「経験の科学」とも称される科学的体系であると考えられています。

(※人生の目的については、以下をご参照下さい)

目的は同じでも、目的に至るには様々な道があります。

  • ラージャ・ヨーガ
  • バクティ・ヨーガ
  • ギヤーナ・ヨーガ
  • カルマ・ヨーガ

どれも手段に過ぎず、どの道を通ったとしても同じ目的に到達を目指していくことになります。どの道を進むかは、その人の特性によりますし、向き不向きもあります。これら道を極めていくために必要な存在が【グル/導師】です。

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グルの必要性

一般的なヨガは、肉体的な鍛錬によって心の安定を図りますが、表面的なエクササイズ体系の一つです。ヨーガは哲学と実践によって、肉体のみでは到達できない境地への扉を開く方法としての効果を期待されています。(アーサナは瞑想のための前段階、条件)扉を開くには、理想像が必要になるのですが、この理想像を示すのがヨーガの智慧と言われる、本質的な普遍なる経験に基づく智慧です。この教えは古くから口伝によって受け継がれ、聖師によって編集された数々の聖典に納められています。しかし、解説が必要になります。

(※ヨーガの基本的な歴史については、以下をご参照下さい)

現代で求められている肉体的な強さだけを求めるアーサナには、インストラクターは必要ありません。「心を安定させるため」とは語られていても結局、肉体にしかアプローチされていないヨガクラスは、山ほどあります。肉体的な強さを目的とするのであれば、ヨガ以外でもたくさん方法があります。しかし、ヨーガが他のエクササイズと異なる由縁は、手段と目的が含有されており、理想像である目的をも示すことができていることです。理想型を示すことができる方法は、他にはありません。この理想形や智慧の解説には、必ずグル/導師が必要になります。

グルとは何か

ヨーガを学ぶ者にとって、グル/導師は必要不可欠な存在です。古来よりヨーガの目的が成就するかどうかはグルにかかっており、生涯でグルと出会うことが目的だとも言われています。人は自分の欠点を見出すことや認めることは困難ですが、それを指摘してくれるのがグルです。

グルは、以下のように例えられます。

  • 神の化身
  • 完全な人間
  • 人間の理想型
  • 人々の手本
  • 自由の扉

弟子たちの理想型がグルであり、立ち振舞、仕草、物事の考え方など表面的なものの指導にはとどまらない存在です。

(※ヨーガが1人でできない理由については、以下をご参照下さい)

グルと実習者との関係性

グルと実習者との関係性は、一般社会での教師と生徒の対等な関係性とは異なります。師弟関係に近い関係性で、神の言葉と同様にグルの言葉は絶対とされ、グルが1つ問いかければすかさず、YESと答える様な関係性です。まるで「阿吽」のように判断をすることなく受け入れる関係性です。グルが示すのは、表面的なテクニックや知識ではなく、実習者が人格的に向上できるために必要な普遍なる智慧を与える存在です。

グル/guruの意味

グルという言葉の意味は多岐にわたりますが、一般的には、

  • 指導者
  • 教師
  • 導師
  • マスター

また「gu/グ」は暗黒を意味し、「ru/ル」は光を意味します。ここから【グル/guru】は智慧の光を意味し、「無智という暗黒を智慧の光によって払う人」という意味があります。グルは智慧に満ちた存在であり、文字や文章による知識のレベルではなく、経験から得ることのできる智慧を分け与える存在であり、弟子の手本や閃きの源ともされています。また弟子の人生を豊かにするカウンセラーとも考えられます。

ヨーガへの誤解

はるか昔からヨーガの智慧は、グルから弟子に口伝によって直接受け継がれてきました。時代とともに一般社会にもヨガの教えがもたらされました。時代や文化によって新たな解釈や偏った解釈によって、都合の良いものに変容されてしまいました。短絡的な理解によって、自分たちの都合の良い解釈によって、ヨガという手段を利用されるようになりました。ヨーガは、インドから欧米へ渡り、特にアメリカによってビジネスと結合してしまった為、現在のような形となってしまいました。ビジネスと結合したものは、時代とともに廃れてしまうのは、これまでの歴史が示しています。(今後、世界で一番保有者が多いヨガ資格団体も同様な道をたどることでしょう。)

現在、伝統的なヨーガの智慧や技法を伝承している人物は極限られています。解釈変更が現代のヨーガが誤解を与えている要因の一つであると考えられます。

(※ヨーガへの誤解については、以下をご参照下さい)

「何を」から「誰から」へ視点を変える

憲法と同様に解釈を無智な人物の解釈方法によって、勝手に変更していいはずはありません。これは現代のお金稼ぎセミナーに引っかからないコツでもあるのですが、”何を学ぶ”のではなく、”誰から学ぶ”を優先していくことが重要であることと同様です。本物を知らない人にその道を極めることはできるわけもありません。

ヨーガにおいて、今現在の導師から歴史上の導師まで時間を遡って系統をたどることができます。時代によって少しずつ変化はしますが、本質的なエッセンスは普遍です。真髄は系統を遡ることで理解することができます。よって現在自分の指導を受けている指導者は、誰からの指導を受け継いでいるかを確認しておくことで、信頼していいものかどうかの判断材料とできます。

これはヨーガに限ったことではなく、日常生活や仕事においても同様です。

生徒が指導者を見抜く目を鍛える

無責任に自分の都合の良いことを言ってくれる人や、常に肯定してくれる人は、導師でも何でもありません。それは指導者を道具として自分の都合の良い時に使用しているだけです。一般ヨーガでは、指導者を選択するのは実習者です。実習者が「誰から指導を受けるか」ということにこだわりを持つことは、自分のためにも相手のためにも重要です。

これからは、実習者が力のある指導者を見抜く目を持つことが、ヨーガをただの流行りに終わらせない方法の一つだとも言えます。

まとめ

  • 本物を知らない人に、その道を極めることはできない
  • 表面的なテクニックだけを教える指導者はいらない
  • ヨーガは一人ではできない(アーサナだけならできる)
  • 自分勝手な解釈変更では、課題解決はできない
  • 適した指導者を選ぶべき