本記事では、以下の解説をしています。
- 【ヨーガ】を肯定的に定義する概念について
ヨーガには様々な概念や定義あり、解釈も千差万別です。誤解の多く誤った表現がされている【ヨーガ】ですが、様々な効果が現代では認められています。今回は、ヨーガを定義する概念のなかでよく目にする肯定的な7つの概念を取り上げていきます。
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ヨーガとは結合や結合を意味する言葉である
【ヨーガ】は、Yuj(ユジュ)=「結びつける」という動詞が語源となっています。牛馬を御するように心身を制御して行為することだと言われています。ヨーガ行者の考えでは、「ヨーガは最終的に人間と神の結合や人間の意識と神の意識の統合を目的としており、おのずと自然界や宇宙との融合であり、それにより小我から大我へ、小さな意識が大きな意識へと変わっていくことである」とされています。ヨーガをはじめるのには物々しい感じがしますので、まずは「身体と心の調和」と解釈してよいと思います。
現代のストレス社会では心の存在が軽視され、肉体と心の解離による様々な病気が発生しています。代表例が【心身症】です。肉体−心を結びつけておくことによって、ストレスから生じる身体の不調にも早く気づくことができます。そして予防することができます。予防は治療よりも重要です。常に心身には気をくばり、【セルフケア】していくことがこれからの医学では主軸になっていきます。
(※【心身症】については、以下をご参照下さい)
【ヨーガ】として、一般的に行われているのは、【アーサナ】【呼吸法】【瞑想】の3つです。特に最近では瞑想が注目を受けていますが、それぞれの目的があります。以下に順に紹介していきます。
その前に【王道のヨーガ】と称される【ラージャ・ヨーガ】において重要な概念が存在します。それが【八支則/アシュタンガ・ヨガ】です。ヨガクラスでクラス名にされているアシュタンガ・ヨガとは異なりますのでご注意下さい。一般クラスのアシュタンガ・ヨガは勝手につけられた名前です。
(※【アシュタンガ・ヨガ】については、以下をご参照下さい)
ヨーガはこの【八支則】に基づいて、心のコントロールが目的とされています。病気とは、外傷性なものウィルス等によるものを除くと、【無知さ】であると捉えられています。この無知さが認められるのは、【人間五蔵説】において理智鞘の機能不全の結果として、呼吸や身体へ症状が表れます。ヨーガによって病気へのアプローチには、人間の構造論である【人間五蔵説】の知っておく必要があります。また病気の根源である【理智鞘】への介入が必要になりますが、理智鞘へのアプローチができるヨーガ指導者は非常に稀です。
(※【人間五蔵説】については、以下をご参照下さい)
数少ない理智鞘にアプローチできるのは、ヨーガ療法学会により【認定ヨーガ療法士】と認定されている人たちです。
(※【ヨーガ療法】については、以下をご参照下さい)
アーサナ
「長時間の瞑想の姿勢にも耐えられる強靭な肉体づくり」が【アーサナ】の目的にです。見た目の強靭さや華麗なポージングにこだわった肉体では、日常生活では錘になり、自らをも苦しめることになります。「正確な目的をもつことは、正確な方法で行うのと同等である」という言葉があり、何事も「何の為にやるのか」という目的をよく考えることが重要です。
(※【アーサナ】については、以下をご参照下さい)
呼吸法/プラーナヤーマ/調気法
呼吸は、身体の内部と外部のガス交換を行っているだけでなく、肺に空気をいれ、拡張し、【意識化】する1つのキッカケとすることができます。心と身体をつなぎ合わせるとよく言われますが、【人間五蔵説】によると、【生気鞘】は、過度なストレスを受けることで肉体の呼吸機能を司る視床下部が影響されて、自律神経系の働きが阻害されると言われています。すると心肺機能に障がいが発生し、呼吸作用の乱れが生じます。呼吸作用は身体への影響に先立って表れ、感覚次元の問題が呼吸の前に障がいされます。それを調えることが呼吸法の目的です。身体と心へのつながりという意味もあります。
(※【プラーナヤーマ】の具体的な説明については、以下をご参照下さい)
瞑想
【瞑想】にとって重要な目的は、自分勝手な思考となっているという【気づき】を得ることです。自分勝手かどうかを判断するためには正しい判断基準=【智慧】が必要です。病気の発症原因として【誤認知】があるとされています。認知機能へのアプローチが瞑想です。先に挙げました【人間五蔵説】において【意思鞘】から【理智鞘】が瞑想のターゲットになります。日常生活での出来事や過去の記憶に対しての【意味付け】や【判断】をするということが【認知】するということです。この意味付けを正しい智慧に基づいてして実施することが求められます。病気の発症原因となっている場合は、個人の【執着】や【こだわり】があり、【無知さ】に基づいていることです。正しい智慧を得る為には、善き指導者につくことが必要です。その意味で【瞑想】は、1人では行うことは難しく、指導する人が必要です。
(※瞑想が1人で行えない理由については、以下をご参照下さい)
ヨーガとは心の働きを制御することである
ヨーガにおいて、重要な聖典である【ヨーガ・スートラ】において、パタンジャリ大師は、以下のように書かれています。
「ヨーガとは心素の働きを止滅させることであり、心素の働きが止滅すれば観る者たる真我は、その本性にとどまる」
【ヨーガ・スートラ第1章2節】
【心素】とは、記憶、意思作用とされるもので、理智を高め客観的にみることで、過去記憶や意思作用を認識し、止滅することが心の働きの制御ということになります。
(※心素の具体的な説明については、以下をご参照下さい)
心の働きの制御と言う時に、二つの意味があります。
- ある対象物に集中させておくこと
- 心の働きを常時静めておくこと
またある対象物に対しての制御は、低次の制御と捉えられ、対象のない心の制御が最終目標とされています。【アーサナ】【プラーナーヤーマ】の行法にこだわるのではなく、人間の様々な感覚器官の働きしっかりと制御することが【ヨーガ】であると言われている。
「欺くが如く諸感覚器官の働きをしっかりと制御することが、ヨーガである」
(カタ・ウパニシャド Ⅵ−11)
日々の生活において、思いもよらぬハプニングがたくさん起こります。しかし、何事にも心が乱されるのではなく、現在の心の状態を認識し、積極的に制御しようとする試みがヨーガであるとも解釈できます。
ヨーガとは心の作用を平静にしてゆくことである
ヨーガ・ヴァシシュタにおいて下記のように記されています。
「ヨーガとは意思の働きを静める巧みなやり方である」
ヨーガでは、【瞑想】【祈り】【真言】【マントラ】という方法が用いられます。集中する対象というものが存在するや否やに関わらず、
- 特定の言葉の繰り返し
- 日常の思考から離れる
これらによって物事に惑わされることを軽減することができます。
「当惑させられるような聖典の教説に惑わされた汝の理智の働きが最終的に不動のものとなり、三昧の境地が確立される時、汝は真のヨーガの境地に達するであろう」
【バガヴァッド・ギーター Ⅱ-5】
「深い熟考状態にいることで、理智は静かなもの」となり、【三昧/サマーディ】が確立され、真のヨーガの境地に達するとされています。また【三昧】にも対象物のある【サンプラ・ジュニャータ・サマーディ】と対象のない【アサンプラ・ジュニャータ・サマーディ】と分類され、より対象のない三昧が目指されます。
ヨーガとは肉体と意識との調和状態を造ることである
アーサナの最中もプラーナーヤーマに意識を向け、その行為に集中することで本当の自分に向きあうことができるとされています。
バカヴァッド・ギーターより、
「アルジュナよ。執着を捨て成功と不成功とを平等のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為を為せ。ヨーガは平等の境地であると言われているのだ」
(バガヴァッド・キーター Ⅱ-48)
アーサナにおいても正解があるのではなく、ましてや他者をまねることではありません。それは型という結果に集中しており、それよりも大切なことである、自身の身体へ意識を向け、行為の結果に関しては善悪のどちらにしても平等に受け入れることが大切である。普段の人の意識は、損得や快不快などの対立感情の意識モードになっています。これは不純な意識と言われ、この意識モードに気づきを得るとそこから離れようとすることができます。これが伝統的ヨーガが教えていることです。これらの意識は、【理智】や【心素】からの意識と考えることができるのですが、意識化することができるのは、【理智】の意識です。理智の意識を客観視することが、現代では【マインドフルネス】と呼ばれている方法のことです。
(※意識を知るには、心について知る必要があります。詳しくは以下をご参照下さい)
「何事にも執着することなくどんなことでも平等に受け入れることが大切である」という教えが【バカヴァッド・ギーター】に記載されています。
ヨーガとは上手な行為の仕方である
「何をする」のと同様に「いかに行為している」ということも大切です。
「ヨーガとは行為を為す際の技量なのである」
【バガヴァッド・ギーター Ⅱー50】
結果ではなく、その過程の大切さが示されています。ここでの技量とは、行為の際にリラックスしつつ必ずその行為を意識しておくことが重要です。
ヨーガとは人間の進化を自然に加速させる方法である
ヨーガの発展に大きな功績を残した、【スワミ・ヴィヴェーカナンダ大師】曰く、
「ヨーガとは人の存在をその一生涯のうちに、あるいは数ヶ月、数時間のうちに変革させてしまう手段である」
つまり人間存在を動物の次元から神人、神様の次元へと変革させてくれる手段である。
(※教育法としてのヨーガについて詳しくは、以下をご参照下さい)
ヨーガとは人格の各種の統合を意味する
【シュリ・オーロンビンド大師】曰く、
「ヨーガとは人の存在を肉体的、感覚的、情動的、知的、霊的という総合的に成長せしめる手段である」
つまり、個人の中に潜んでいる可能性を引出し、完全な自己存在を生じさせる手段であると言っています。その人物のペルソナと真の人格との調和させることであるということである。また、
「欺くの如く諸感覚器官の働きをしっかりと制御することがヨーガであると言われている。この時行者は注意深くあらねばならない。それというのもヨーガはこの世を生じさせ、或いは消滅させるからである」
【カタ・ウパニシャド Ⅵ-11】
「この世は自身の合わせ鏡」であり、世の中が善く見えるも悪く見えるも自分の心の状態次第です。ヨーガは、心の働き・状態を観察し、どう扱っていけばよいかを教示しています。
まとめ
以上、一般的にヨーガの説明とされている内容を解説しました。ヨーガも流派によって重要視しているポイントは異なりますが、最終的な目標は同一です。これの元となっているのは、【伝統的ヨーガ】です。現代のヨガは、欧米を経由して日本に入ってきたものですので、いくつものフィルターを通した解釈となっています。インドの発症は、皆さんご存知のインドです。インドの【伝統的ヨーガ】を脈々と受け継いで日本で指導されているものも存在します。
(詳しくは、以下をご参照下さい)