本記事では、以下を解説していきます。
- ヨーガで行われる瞑想について
- 近年話題のマインドフルネスについて
- なぜ一人で瞑想ができないのか
聖師パタンジャリの八支則/アシュタンガ・ヨガによれば、
- ヤマ:禁戒
- ニヤマ:勧戒
- アーサナ:体位法・体操
- プラーナーヤーマ:プラーナの制御・呼吸法
- プラティヤーハーラ:感覚の制御・意識化
外的なヨーガと言われ、以下の段階の準備段階とされています。
- ダーラナ:精神集中法
- ディヤーナ:瞑想
- サマーディ:三昧
これらを内的ヨーガと呼び、さらにダーラナ/精神集中法は、内外の架け橋となる重要な役目となっています。
(※アシュタンガ・ヨーガについては、以下をご参照下さい)
全てのヨギーの必読書「ヨーガ・スートラ」において、パタンジャリはアーサナについて3度しか言及していません。これは身体を軽視しているわけではなく、アーサナの目的を長時間の瞑想に備えて身体を浄化することとし、心の部分を重視しているということです。
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瞑想
代表的な瞑想には、以下の2つがあります
- サマタ瞑想:特定の対象に注意を集中する
- ヴィパッサナー瞑想:意識が捉える全ての体験を偏りなく観察する
サマタ瞑想は、「一過性の禅定状態」をもたらし、ヴィパッサナー瞑想は、「持続的な悟り/パーソナリティの変化」をもたらすことを主要な目的としています。
(※禅定状態:身体を安静に保ち,心静かに人間本来の姿を瞑想すること,心を一つに集中させ,動揺させないことである。引用:コトバンク)
また瞑想を注意コントロールの特徴から大別すると、以下のように分けられます。
- Focused attention(FA瞑想)
- Open Monitoring(OM瞑想)
ヨーガの瞑想はFA瞑想に該当し、近年話題となっているマインドフルネス瞑想は、OM瞑想が中心となると考えられます。しかし、どちらが重要かと聞かれると目的によって異なります。
十分なOMを実現するためには、FAの習得が必要ですし、ヨーガにおいても注意の範囲(意識化範囲の拡大)を拡げることによりOMが実現されると考えられます。
(※マインドフルネスを実践する際の心構えについては、以下をご参照下さい)
マインドフルネス瞑想とは
今の瞬間の「現実」に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には因われないでいる心の持ち方、存在の有様
「現実」には、自分の思考、感情、身体感覚、記憶などの私的出来事も含まれるが、公的・私的出来事を問わない対象と「観察する自分」との間に、さらに解釈や評価をする思考、イメージ、感情などが入り込み、それらを現実や自分と取り違えることで、あるがままに知覚できなくなり、「妄想」の世界が広がってしまいます。
そこで、マインドフルネスを実現することで、現実や自分の実像が捉えられるようになることを目指していきます。
(※マインドフルネスのやり方については、以下をご参照下さい)
ヨーガの瞑想とは
伝統的ヨーガの瞑想とは、以下のような4段階のヴェーダ瞑想方法が伝承されています。
- シュラヴァナ(聴聞)
- マナナ(熟考)
- ニディディヤーサナ(深い日常の瞑想)
- ギヤーナ(悟り)
この方法は現代の科学的手法と同様です。以下に示すと
- 仮説
- 実験
- 検証
- 法則
しかし、これは物質を対象とした手法であり、更に微細な人間の真理探求法とは異なります。
(※引用:日本ヨーガニケタンHP)
古来から伝承されているヴェーダ瞑想法という方法をヨーガ療法では指導しています。
(※ヨーガ療法については、以下をご参照下さい)
上記のヴェーダ瞑想を順に解説すると、
- 聖典や導師の教えをまず良く聞き学ぶ(聴聞)
- その教えをよく考える(熟考)
- 熟考が無意識の次元にまで習慣化した深い瞑想(日常の瞑想)
- 集中した意識状態での気づき(悟り)
という手順で、真理の探求を行っていきます。
明確なテーマ(現状のクライエントに適したテーマ)を学ぶことが必要になります。現状をアセスメントした上で、適切な瞑想テーマを提示できる指導者を選ぶ必要性があります。
闇雲に瞑想に取り組んでも、根本的な解決になりません。慎重に指導者を選ぶ必要性があります。
(※指導者を慎重に選ぶ重要性については、以下をご参照下さい)
よって、このように言えます。
- 瞑想は一人ではできない
ここでもヨーガ療法において重要視されているアセスメントの必要性が示されているということになります。
人間五蔵説で考えてみると
ヨーガ療法においての人間の捉え方は、人間五蔵説と人間馬車説です。
(※人間五蔵説、人間馬車説については、以下をご参照下さい)
人間五蔵説において、物事の判断を行っているのは理智鞘です。
(※現代的には、多少の意味の違いはありますが、理智=認知と捉えて考えてみて下さい)
人間馬車説においては、身体の感覚や肉体の動きを意思/マナスを通して御者へ伝えると考えています。現実と「観察する自己」とを隔てていく技法であるマインドフルネス/心的作用の制御は、マナスの制御と解釈できます。
ヨーガ療法の対象は、理智鞘への介入を目指しています。これは病気=無知さという捉え方から人間に対しての根本的な解決をする目的です。
(※ヨーガにおける病理論については、以下をご参照下さい)
まとめ
- 瞑想はOMとFAに分けて考える
- ヨーガとマインドフルネスは狙いの対象が異なる
- マインドフルネス=心の傷に貼る絆創膏
- 瞑想は一人ではできない