現代は高ストレス社会ですが、その中でうまく生きていく人と疲弊し、ドロップアウトしてしまう人が存在します。両者の違いはなんでしょうか?
ストレスに強い人or弱い人というのが存在するのでしょうか?
その答えになる考え方として、最近話題となっている「レジリエンス」という言葉があります。
【レジリエンス】(resilience)とは、元々はストレス (stress) とともに物理学の用語でした。 ストレスは「外力による歪み」を意味し、レジリエンスはそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始めました。そこから、
- 精神的回復力
- 抵抗力
- 復元力
- 耐久力
とも訳される心理学用語として使用されています。
またストレスは、外部要因だけから生じるものではなく、自分と外部環境との相互関係から生じるものです。
例えば、
「あいつが悪い」
と考えたとします。
しかし、この場合「自分にも相手との関係性において責任がある」ということを意味しています。
私たちは自分にとって好ましくない状況に直面すると、敵対的な反応を示し、関係性を悪い方向へ導いてしまいます。反射的に敵対的な反応を繰り返すことを習慣化していると、悪いコミュニケーション方法を正攻法としてします。
現代においても他者との関係は切り離すことはできず、人の悩みは全て「対人関係」によるとも言われています。
そこで今回は、以下の内容を中心に解説していきます。
- 最強スキルと【レジリエンス】ストレスへの抵抗力について
- 世界のレジリエンス集団
- レジリエンスの高い人物に共通する特徴
- レジリエンスの高め方
- 【ヨーガ】で【レジリエンス】は高められる
レジリエンスとは
精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い。 1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめられました。
引用;Wikipedia
一言で言うと、レジリエンス=ストレスへの抵抗力と言うことができます。
ホロコースト、9.11、震災・・・
災難に遭遇し、トラウマや不安にさいまれずに生きる気力も湧かずに生活している人々がいます。その一方で、日々の生活に前向きに向き合い、幸せな生活を営む人もいます。
「同じ経験をしながらその後の人生が異なるのは一体なぜでしょうか?」
これには「思考の柔軟性」が鍵になってきます。
- 特定の個人と組織は押しつぶされるだろうか?
- 一時的に屈することがあってもすぐに回復できる/逆境力を持つ者たちがいるのはなぜか?
ビジネス場面においても、一般的に求められる資質(MBAホルダー等)よりもレジリエンスの高い人物は重要であろうと考えられています。
例えば、以下の能力が挙げられます
- 他者に愛着を抱く能力
- 暴力的な他者の侵入から自衛を図る心的機能
レジリエンスに必要な要素
- 状況に一喜一憂しない、感情をコントロールする力
※エネルギーを必要以上に消費せず、心をにニュートラルおき、現象を客観視する力
- 自分の力を過小評価しない、自尊感情
※自分には無理だとすぐに諦める。(実は、諦めることにも目的があります)
- 自己効力感
- 楽観性
「逆境に強い」と聞くと、難題・課題に対して、「跳ね返す」「硬い」等のイメージを持ちますが、自身の不安などの状況に打ち負けないで靭やかにこなしていく心の持ち方(思考の柔軟性)が大切ということです。
感情や思考にも左右されることなく「ただやるだけ」という心の持ち方を勧めているのが、カルマ・ヨーガです。ストレスも悩みも感情も「全ては一過性」です。慢性的に抱えているように感じるのは、人の理智がそのように誤認知させているからです。
1人で生きているわけではない
人間はひとりではありません。(※「人間=ジンカン」においても、1人で生きる人間というのはあり得ません)
人間社会を共同体として考えると、人生には3大タスクがあるとされています。
- 仕事(仕事上の付き合い、他人からの評価など)
- 交友(友人との関係性の深さ)
- 愛(恋愛関係や親子関係など)
不満や悩みを愚痴ったり、困ったことを人に話したりする「ピアカウンセリング」の様に同じ体験をした人と悩みを共有することができることはとても心強いものです。気持ちを外に出すことで少しは楽になりますが、自分の課題であることをしっかりと認知しておく必要があります。
仲間と課題そのものを共有することではなく、その時の「思考」や「感情」を「共鳴」「共感」することで心を落ち着けることできますが、それだけでは根本的な道を開くことはできません。そういったところからは、自分の見方や行動様式を変えようという積極的な態度は生まれてはきません。
しかし、セーフティネットとしては、非常に重要な機能を果たすので、「自分の課題である」という感覚を客観視していることが重要だということです。
レジリエンスの高い人に共通する3つの能力
- 現実をしっかり受け止める力
- 「人生には何らかの意味がある」という強い価値観によって支えられた確固たる信念
- 超人的な即興性
1,2つあれば困難を乗りきれるでしょうが、真にレジリエンスがあると言うには、3つ全てが必要と言われています。
楽天主義者(≒悲観主義者)は最初に心が折れる?
楽天と楽観では、意味が異なります。
何が違うのかというと「現実を据えているかどうか」が異なります。
楽天家の特徴は、偶発的なものではないものをまるで「運命、天命、使命」だと捉えます。これらの人々は、失望が重なると対応困難になり、いつかは挫けてしまいます。
その意味で、楽天的≒悲観的と捉えることができます。
(※例え:ベトコンに捉えられたジム・ストックデール将軍)
レジリエンスの高い人物は、生死に関わる現状についても冷静かつ現実的な見解を持っている人物です。(楽天家が無用ということではありませんので、誤解なさらないようにお願いします。)
士気の低下した組織や人物には可能性という魔法の言葉を使うと一時的な士気向上を図ることができます。しかし、より大きな課題の場合は、悲観的だとも言える冷静な現実感覚がより効果的に働きます。
現実を直視して向き合うことは実際不愉快で、しばしば苦痛を伴う行為ですが、自分の目的を明確にできていればでチャレンジすることができます。
ヨーガにおいては、パタンジャリ大使が「アシュタンガ・ヨーガ」の第二段階「ニヤマ」にの中に「タパス」という言葉があります。
タパスは、苦行という意味の言葉ですが、「真冬に滝にうたれたり」、「焼けた炭の上を歩いたり」することではありません。
現代的な意味では、努力することです。
現実をみる力
- 「なぜ自分だけこんな目に遭うんだ…」と嘆き、あきらめてしまう人
- 自分を犠牲者と考えてしまい、困難に直面しても何も学ばない人
これらに対して、レジリエンスの高い人物は、自分や他者にとっての意味を見つけ、困難な状況の構造を捉えようとします。
人生の何らかに意味を見つけ、その小さな意味を紡ぎだす作業が橋渡しとして、レジリエンスの高い人は「辛かった今日から、充実した明日を確立している」のではないかと考えられます。
また、その橋渡しが、「この状況はどうにもならない」という感覚を払拭する動力因になります。価値観によって支えられた信念や将来に対しての「具体的なイメージ」が、人の心を強くします。
「V・E・フランクル」は、著書の中で以下のように語っています。
『生きることには目的が必要である』
引用:夜と霧 V・E・フランクル
世界中で最もレジリエンスの高い組織の代表として、2000年以上も戦争・腐敗・分裂を超えて生き残っているカトリック教会の例があります。永続するビジネスにも、信条があり、単に金を儲ける以上の目的となっている会社も数々あります。
実際、多くの企業が自らの価値観を宗教用語で表現しています。レジリエンスの高い企業の価値観は長く不変であり、大事の際に「人の心の拠り所」とさえなりえるものです。
各段階において、「価値観」は人の「意思決定」を左右します。時代の流れで、戦略や使命は変わりますが、価値観は変わってはいません。
一般的に「倫理的」に問題のある価値観を持った企業でも、レジリエンスを備えている場合があり、その代表例が、フィリップ・モリス社です。
よって「レジリエンス」とは、以下の様に捉えることができます。
倫理的な善し悪しと無関係
これは「大人の選択」とも言えるでしょうか?
組織としては、「レジリエンスの高い社員の存在<価値観」が重要と考えられますが、組織の弱体化が明らかになると、極めて「レジリエンス」の高い個人は、「自らの生き残りを危うくするくらいならば、組織を見捨てる」とも言われています。
また「V・E・フランクル」は、著書の中で以下のようにも語っています。
「だいたいにおいて、何年ものあいだ、囚人たちは収容所から収容所へと点々としているが、遠慮会釈のないものだけが生き残った。あらゆる手段に訴える気構えがあり、自らを救うという点で正直であり、また残忍ですらあった。事実、生存者達は良識のある人達が生き残れなかったことを知っている」
引用:夜と霧 V・E・フランクル
即興性
「何であれ、手近にあるもので間に合わせる能力」と言い換えられ、常に「その場にあるもの」で間に合わせることができます。
フランスの人類学者【クロード・レヴィ=ストロース】は、これを【ブリコラージュ】と呼んでいます。
今日的な意味では、以下のように定義されます。
一種の独創的な能力であり、必要なツールや素材が手元になくとも、問題解決策を即興的に作り出せる能力
即興性のある人物は、
- 状況が不透明で他の人が混乱していても、可能性を想像しながら何とか切り抜けようとする
- 道具も事前に揃え、使い方を考え、なんとか利用しようと試みる
「行動する前から失敗を考えたり」、「できない原因を考える」のではなく、目標に向かってなんとか間に合わせよう、到達させようとする目的志向の人物と言えます。
- 「そんなことやったことない」
- 「できない」
このような思考が習慣化しているだけで、目標達成できる可能性はかなり低下します。
「なんでもやればできる」という無責任な態度とも異なります。その前段階の問題です。「人間はプレッシャーにさらされると、最も馴染みのある行動へと回帰する。生存を脅かさすような重圧の下では真新しい想像力など期待できない」と言われています。
つまり、ある企業が想像力を抑制するような規則や規制を定めていても、むしろそれは心に危機の時のレジリエンスを高めるものとして機能し得るということです。
レジリエンスの本質
ここまでの内容からレジリエンスとは、以下のように捉えることができます。
- 心にしみついた反射能力
- 世界と向き合い、理解する能力
レジリエンスの高い人や企業は、
- 現実に毅然と目を向け、困難な状況を悲嘆することなく
- 前向きな意味を見出し
- 啓示を得たかのうように解決策を生み出していく
これが完全に解明することが困難なレジリエンスの本質であると言われています。
しかし、反射能力なのであれば、その能力を高める方法はあるはずです!
レジリエンスを鍛える
レジリエンスを鍛える方法はもちろんあります。
上記した3つの力の観点から解説していきます。
- 真実を受け入れる
- 価値観に支えられた信念
- 即興性
現実を受け入れる
厳しい現実におかれても、逃げることなく自分が置かれている「現状を受け止める努力/客観視力」により、どんな状況に対しても準備をすることです。
【ジム・ストックデール】の例においても、彼は捕らえられた後、「拷問は長期にわたる」という可能性を受け入れました。
しかし、他の者はどうだったのでしょうか?
まず「クリスマスには開放されるだろう」と考え、それが難しいとわかると次は「感謝祭には開放される」と、根拠の無い期限を設けて、自らの首を絞めるかのように失望を重ねていったと言われています。
価値観に支えられた信念
どんなにつらい状況でも、自分を犠牲者だと思い、泣きたくなる衝動に屈するのではなく、そのつらい状況を相対化して、自分や他人にとっての意味を見出すようにします。
「辛い今日から充実した明るい未来」への橋を作ることにより困難な状況への対処を可能にし、「この状況はどうにもならない」という感覚を払拭できるようになっていきます。
【V・E・フランクル】は、同著書で以下のように語っています。
「生き延びるためには、何らかの「目的」が必要だと悟った。またいつか戦争が終わったら、自分の体験を知ってもらえる様に、強制収容所内での生活、心理状態について講義している自分の様子を想像するようにした。自分自身の具体的な目標を設定することで、その場の苦しみを乗り越えた。」
引用:夜と霧 V・E・フランクル
即興性
惨事に見舞われた場合には、創意工夫でなんとか乗り切ることです。例えば、テレビドラマの救急医の対応の様なものです。(現実的かどうかは除いて)本来の使用法にはとらわれず想像し、手近にあるものを最大限に活用する態度のことです。
現実を捉え、目的を明確にし、どのような行動がその目的に適っているかを冷静に判断するように日頃からトレーニングを続けることです。意識的に準備していることが何より大切です。
ヨーガでも客観視力を鍛えることはできます。また最近人気のマインドフルネスは、客観視力を鍛えることを目的とした方法です。
なぜ今「レジリエンス」なのか?
現代社会を生き抜く為に重要な能力の1つだからです。
現代は便利になった反面、農村文化から都市文化に変化し、人同士の繋がりは希薄化しています。実際、近所の家族構成やどんな人物が暮らしているかもわからない様になっている地域も増えています。
「お隣さんの趣味や顔を知っていますか?」
またストレス社会と一言でまとめるとお粗末ですが、心が折れやすく、「自分なんて無理」と自尊心の低さが目立つ方は周囲でもたくさいると推測されます。
現代のストレス社会への対応策であり、レジリエンスを高めるスキルとしてヨーガをオススメしています。
まとめ
- レジリエンスは、人生を生き抜くためにどんな資格よりも有効
- ヨーガの瞑想は、レジリエンスを鍛える
- 理智鞘を向上すれば、レジリエンスが高まる